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「ドラクエ4」ほか  レビュー
 デスピサロのはらがあやしくうごめいたあの日から25年


2015年4月
文・石鍋健太

 

ファミコン


■  会わなくっても、「サイレンノート」であいつとは通じ合っていた

2006年にアクションホラーゲームの傑作「サイレン1」「サイレン2」をクリアして以降、私生活上のさまざまな事情から腰を据えてテレビゲームに 没頭する機会がなくなってしまった。いまや隆盛をきわめるゲーム実況とかゲーム動画投稿とかの芽が育ちはじめたのは、ちょうどその前後くらいのことらし い。

わかりやすい物差しとしてNewzoo(国際的なゲーム専門調査会社)の市場調査資料をみてみると、2014年の世界のe-Sports(ネット ゲームのことをそう呼ぶらしい)市場は2億ドルもの収益を上げたという。規模の増加に伴って観客数も爆発的に増えた。現在総視聴者数1億3400万人で、 17年には3億3500万人のファンを抱える巨大市場になるとのこと。日本でも13年頃から大規模なイベントが催されはじめ、今年1月末に開催されたゲー ム実況の祭典「闘会議2015」は話題になった。プレステ4はつねにゲーム画面を録画し続けて「シェアボタン」なるものまで備え付け、そのライブストリー ミングプラットフォームであるTwitchはあっという間に巨大メディアへと成長し、YouTubeがこれを追いかけている。ミクシィがゲーム動画投稿専 用の機能を付し、サイバーエージェントが販促用実況動画の製作受託サービスを始め、人気のゲーム実況者はタレントのようにニコニコ動画の番組に出演した り、ゲームメーカーに公認されたりしている。先日WBSの特集で、街角の中学生にゲーム実況についてインタビューしていたのだが、なんとその少年はゲーム 動画の編集・アップ作業に毎日4〜5時間かけるという。「友達に『いいね!』されるととても嬉しい」そうだ。

このように、プレイ状況をネット上で共有することは、ゲーマーにとってお馴染みの楽しみ方のひとつとなっている模様。ふと気づいてみれば、自分がゲームをやらない間にびっくりするほど状況が変わったものだ。

学生時代、先述の「サイレン」は友人宅に置きっぱなしになっていて、私はいつも部屋の主の在不在にかかわらず勝手にゲームを進めていた。同じことを している友人がほかにもう1人いて、彼と時に競い合い、時に協力し合うために「サイレンノート」を用意、ゲームをしに部屋を訪ねてノートを開くと、彼のプ レイ状況や感動の言葉、苦戦したポイント、私が発見した活路への賞賛などが記されており、なんだかワクワクしたものだった。

 

サイレン101


▲ 「サイレン」プレイ画面。超難しかった

「クリア」というシンプルな目標を共有した、顔の見えない相手との交流をお互い大いに楽しんでいた。ゲーム実況とかゲーム動画投稿とかは、要はあれの便利版みたいなものなのだろう、たぶん。あんな根暗なことを、いまや万人が当たり前のように手軽にやっているとは。

 

ドラクエ4


■ 感動の共有にかける時間と労力の変質

思えば、テレビゲームといえば基本的には孤独な営みだった。「桃鉄」とか「マリオカート」とか、みんなで囲んでエンドレスでやるようなのはまた別だ が、孤独に背中を丸める風情というものが、かつて確かにゲームにはまとわりついていた。決められた道をひたすら孤独に歩み、その過程で何かがどんどん溜 まっていく。その溜まりに溜まった何かを、学校とか道端で友人らと一気に放出し合い共有する。あのすさまじい一体感がテレビゲームというものの醍醐味のひ とつだったような気がする。

たとえば私が小学生の時、友人から葉書いっぱい極小の文字で埋め尽くされた年賀状が届いたことがある。一瞬「狂ったか」と思ったが、読んでみると 「ドラクエ4」プレイ中の詳細な体験記だった。まだレベルが足りない状態でラスボスのデスピサロに挑んでしまい、苦戦しながらもなんとか奴さんを倒したか と思いきや、「デスピサロのはらがあやしくうごめい」て超ビビッた、という驚きから彼のストーリーは始まっていた。

 

ピサロ01

ピサロ02


▲ デスピサロ変身中(上)と最終形態(下)

内容はいまでもはっきりと覚えているが、ここではクライマックスを記すだけにしておこう。仲間たちの多くが倒され、ついに生き残りは「エッチピーが オレンジ色(瀕死ということ)」の勇者とトルネコのみという状況で、もうダメだとあきらめかけた次の瞬間、なんと、つまずいて転んだトルネコの武器が会心 の一撃を繰り出し、それでデスピサロを倒したのだそうだ。「ドラクエ4」をやったことのない人には何が何だかサッパリわからないだろうが、<普段役立たず でもっぱら馬車に押し込まれているあのトルネコが、お得意の「つまづき」でラスボスを倒してしまった>というなんとも皮肉で朗らかな場面が、彼の心を大き く揺さぶったのだ。小学生らしいなんとも貧弱な語彙で精いっぱい興奮と感動を伝えようという、臨場感溢れるとてもよい文章だった。

 

トルネコ


▲ 商人トルネコ

私自身の「ドラクエ5」プレイ体験も披露しておこう。山のような巨体のブオーンという強敵を、ドラクエファンの皆さんは覚えていることと思う。念の ためおさらいしておくと、そいつは太古の時代に世界を荒らし回ったあげく壺か何かに封印されたのだが、その封印が期間限定のものだったので解けてしまい、 ちょうどその地を訪れた主人公一行が「見はらしの塔」の頂上で闘うことになる、というのがいきさつだ。こいつがとてつもなく強い。たしかメインストーリー とはちょっとずれたところで、物語後半に入ると好きなタイミングでチャレンジできるようになる相手だったと思う。

 

ブオーン


▲ ブオーン。森の向こうからだんだんと近づいてくる登場シーンがとても怖かった

私は先の友人同様、ろくにレベルを上げもせずにこのブオーンに挑んでしまった。案の定次々と仲間が倒され、最後に残ったのはスライムナイトのピエー ル。彼も強烈な一撃で死んでしまうのだが、その死に際に奇跡が起こった。彼は受けたダメージの4分の1を相手に跳ね返す機能のある「やいばのよろい」を装 備しており、このわずかな「跳ね返りのダメージ」でブオーンを倒してしまったのだ。つまり敵と味方の相打ちで戦闘が終了したのである。

その後、背筋の凍るようなシュールな情景がテレビ画面に映し出された。本来ならば戦闘終了時にはファンファーレが鳴って取得経験値・ゴールドが表示 され、味方の全滅時にはゲームオーバーになるのだが、そのどちらでもなく、無音のまま戦闘画面からもとのフィールド画面に切り替わったのである。もちろ ん、倒したブオーンはもういない。薄暗い空の下に黒い森が広がり、画面手前には「見はらしの塔」が立っている。そんな寒々しい風景のなか、塔の頂上にぽつ んと放置された4つの棺桶。全身に鳥肌がたったのをよく覚えている。おそるおそるコントローラーの十字キーを押してみると、「動けません!」みたいなメッ セージが表示されるだけ。いつまで待っても何も起こらない。

私はこのいわゆる「バグッた」状態にものすごく興奮して、画面をそのままにしておいて眠れぬ夜を過ごし、翌朝学校に着くなり友人たちに報告しまくったものだった。

いまなら、こんな事態になったらすぐに「シェアボタン」とかを押してネットにアップして「すげー」とかいってワールドワイドにみんなで共有するのだ ろう。でも当時そんなすべはなかったのだ。なかったからこそ、私の友人は冬休みの間中トルネコの偉業を心のなかだけに留めておけずに筆を執ったのだし、な かったからこそ、私は棺桶が4つ並んだ奇怪な画面を翌日までそのままにしておいて、わざわざ友人たちを家に招いたのだ。「こんなことがあった」という感動 は、なにより自分でしっかり記憶して、直接誰かに会って伝えるしかなかったのだ。お手軽に外部化できるようなものではなかったのだ。

とはいえ、状況が変わったからといって「昔はよかった」とは思わない。かつての状況に情緒を感じるのは、記憶に思い出がこびりついてるからであっ て、良いとか悪いとかとはぜんぜん別の話だ。新しい世代は彼らが与えられた状況において、彼らなりの思い出を日々こびりつけている。

だから現在のような、プレイ状況をネットで共有する楽しみ方を否定する気はまったくないのだけれど、それが可能になったことで、人の心の何がどう変 わったのかがすごく気になる。私が「ドラクエ」に熱中していた頃と現在とでは、感動の共有にかける時間と労力が劇的に変わった。孤独に背中を丸めて感動を 溜め込んで煮詰めるあの時間。あれをいまならゼロにできるし、逆に時間をかけて編集して作品化して示すこともできる。いずれにせよ自分の内側から外側へ と、早々と感動を吐き出せる状況になったことで、少年たちの心と彼らが語るストーリーは以前とどう変わったのか。あるいはとくに何も変わらないのか。気に なる。うちの子どもがテレビゲームをする年頃になったらぜひ観察してみたいが、きっとものすごく嫌がられるだろう。



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