展覧会の英題は、“Reading Cinema, Finding Words : Art after Marcel Broodtheaers”。映画を“読む”、言葉を探す。このフレーズが気になっていました。
ブロータースという人は、映画を「言語の拡張」、「書くための新しい方法」として捉えていたそうです。これはもちろん、“動く絵”の方が言葉による説明より多くを伝えられるということではなくて、言葉の可能性を試すための映画、みたいな意味合いなのだと思います。こういう、映画が映画であること以外の何かを目指すよう背中を押されている感じ、“さあ考えてみよう”という雰囲気に僕はなかなか入り込めなくて、会場で常時上映されていた数本のブロー タース作品を前に「なるほど」と頷くことしかできませんでした。もしかしたら、まったく別のそれらしいテーマのもとでこれらの作品を見ても、同じように 「なるほど」と頷いたかも。僕はむしろ、マルセル・ブロータースという人の書いた言葉そのものを読んでみたいと思いました、詩とか。あるいは彼の多様な創 作活動全般についての展示が見てみたい。
とはいえ、複数の映写機がカラカラ回って白壁に映画を映し続けている中央のホールは、薄暗くて涼しくて実に居心地がよく、ブロータース作品を呼び水 として計6つのシアターへと客を導く構成も好きでした。映画館で上映開始のブザーが鳴るのを待つ間のあの贅沢なワクワク感、念のためトイレを済ましておこうと廊下の絨毯の上を小走りで駆ける時のソワソワ感、そういう感覚をひさびさに満喫しました。